日常に潜む、どす黒くサディスティックな闇の世界 入門編にしてリンチワールド全開。デヴィッド・リンチの代表作「ブルーベルベット」
2021.9.27(月)

真っ青な空をバックに、白さが眩しいピケットフェンスに真紅のバラ。消防士の笑顔が印象的な特殊車両がゆっくりと画面を横切り、登校中の子どもたちは秩序よく横断歩道を渡る。まるで絵葉書のように町の平穏な表情を映し出し、「ブルーベルベット」(1986年)は、その名を冠した曲に合わせて幕を開ける。
■異才デヴィッド・リンチの意匠が全開する犯罪サスペンス
アメリカ北西部の伐採場の町、ノースカロライナ州ランバートンを舞台に、一人の青年が犯罪に巻き込まれていく展開をスリリングに描いた同作は、異才デヴィッド・リンチ監督(「イレイザーヘッド」、「エレファント・マン」)の持ち味である幻惑的な視覚描写と奇異なドラマとの融合を一つのスタンダードにした。過去数十年で最も影響力を持つ、80年代アメリカ映画を代表するマスターピースの一本だ。

⒞ 1986 STUDIOCANAL IMAGE. All Rights Reserved
病に倒れた父を見舞った帰り、大学生ジェフリー(カイル・マクラクラン)は、空き地で切断された人の耳を見つけてしまう。それをウィリアムズ刑事(ジョージ・ディッカーソン)のところへ持っていくと、刑事の娘サンディ(ローラ・ダーン)が彼の前に現れ、その耳がナイトクラブの歌手ドロシー(イザベラ・ロッセリーニ)に関係していることを吹聴する。
好奇心に駆られたジェフリーは、身分を偽ってドロシーのアパートを訪れ、出来心からスペアキーを盗んで帰ってしまう。その後、ジェフリーはドロシーのステージを見て、彼女が「ブルーベルベット」を歌う姿に気を奪われ、再びアパートへと忍び込む。だがドロシーの予期せぬ帰宅によって、クローゼットに身を隠した彼が目にしたのは、異様極まる光景だった――。

⒞ 1986 STUDIOCANAL IMAGE. All Rights Reserved
ジェフリーの父親が倒れる直前まで水を撒いていた庭は、手入れが行き届いていて美しい。だが芝生の下にカメラは潜り込むと、うごめく黒い蟲たちをクローズアップにする。その一連のショットの流れは、我々がこれから体験するであろう事柄を暗に示している。
そう、ジェフリーが好奇心の代償として得たものは、恐ろしい異常犯罪との遭遇だったのだ。

⒞ 1986 STUDIOCANAL IMAGE. All Rights Reserved
■異形のネオノワールを象徴するデニス・ホッパーの怪演
本作で素性の知れぬ犯罪者フランク・ブース(デニス・ホッパー)は、ドロシーの愛する夫と息子を誘拐して自由を奪い、彼女のもとにやって来ては性的な暴力を振るう。ジェフリーが拾った耳は彼女の夫のもので、独占欲がもたらす狂気は筋金入りだ。ジェフリーは屈辱を受けたドロシーを介抱するが、彼女はフランクに対して怯えていると同時に、マゾヒスティックな興奮を得ていることに気づく。

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人心を惑わせ支配下に置くサイコパスにして、サディズムの権化みたいなフランクこそ、異形のネオノワールともいえる本作のキーキャラクターと言っていい。演じるデニス・ホッパーはこの映画の製作当時、薬物中毒を克服し、俳優としてのキャリアを再始動させたばかりだった。一方で、更生以前の悪評が業界にまかり通っており、常識からかけ離れた作品を撮るリンチでさえも彼の起用を懸念していたのだ。しかしホッパーは「私がフランクそのものだ」と監督を説得し、負の人生経験から得たものを逆に役作りへと昇華。狂気を体現するかのような演技で圧倒的な存在感を示した。
フランクの軌道性を欠く情動の矛先はジェフリーにも向けられ、彼は人生でこれまでにない恐怖の一夜を味わうことになる。この作品は基本的に若者たちの探偵ごっこであり、ジェフリーは一連の謎に興味を抱き、サンディの助けを借りて独自に捜索しようと試みる。しかし一見して牧歌的なこの世界には、どす黒く変態的な裏側が存在することを彼らは身を以て知るのだ。

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「ブルーベルベット」は数あるリンチの作品の中で唯一、夢魔のような映像アプローチを筋道の立ったプロットへと結びつけた作品であり、「ワイルド・アット・ハート」(1990年)以降、氏の作品は誰もが引き込まれていく物語からの逸脱を図り、「ロスト・ハイウェイ」(1997年)や「マルホランド・ドライブ」(2001年)といった、観念的で観る者が茫然となる独自の世界へと発展していく。そういう意味では、難解を常とするリンチワールドの入門編と言えるだろう。もっとも登場キャラクターそれぞれが道徳心の欠落した人間で、座りの悪い感触を覚えるところは不動の作家性を放っているし、一見したらハッピーエンドに思える結末も、どこか観る者の不安を残すという点で然りだ。
文=尾崎一男
尾崎一男●1967年生まれ。映画評論家、ライター。「フィギュア王」「チャンピオン RED」「キネマ旬報」「映画秘宝」「熱風」「映画.com」「ザ・シネマ」「シネモア」「クランクイン!」などに数多くの解説や論考を寄稿。映画史、技術系に強いリドリー・スコット第一主義者。「ドリー・尾崎」の名義でシネマ芸人ユニット[映画ガチンコ兄弟]を組み、配信プログラムやトークイベントにも出演。
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